公開セミナー「オールナイトニッポンの魅力を探る」開催レポート
8月24日に、公開セミナー「オールナイトニッポンの魅力を探る」を開催しました!ゲストに、上柳昌彦さん(ラジオパーソナリティ)と冨山雄一さん(ニッポン放送・コンテンツプロデュースルーム長)をお迎えしました。
このセミナーは、「オールナイトニッポンタイムトラベル70年展」の関連イベントとして開催しました(企画展は閉幕しました)。
セミナーでは、事前に募集したゲストへの質問を、ラジオの生放送風に紹介しながら、トークが展開していきました。
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二人の出会い、共通の思い出
上柳さんは、『上柳昌彦 あさぼらけ』(毎週月曜朝5~6時/毎週火曜~金曜 朝4時30分~6時)を担当しています。
一方、現在はコンテンツプロデュースルーム長として、ニッポン放送の番組全体を統括する立場の冨山さん。大学卒業後はNHKに入局し、ラジオや新潟放送局でドキュメンタリー番組の制作をした経歴をおもちです。
2007年2月にニッポン放送へ入社し、ADとして『うえやなぎまさひこのサプライズ!』(2002-2007)で初めて一緒に仕事をした後、2012年に東日本大震災の被災地を一緒に巡ったことで、近い関係になったそうです。
そんなお二人が特に印象に残っているのが、『上柳昌彦 ごごばん!』(2010-2015)の2013.8.12放送の回。
この日は、富士山が世界文化遺産に登録されたことを受け、全駅から富士山が望める「岳南電車」、そしてなんと貸切ではない通常運行中の車両から生放送が行われました。
会場では、その回の音源を聴きながら当時を振り返りました。
青春時代の❝ANN体験❞
今やラジオの世界では欠かすことのできない存在となったお二人。そんなお二人にも、オールナイトニッポン(以下、ANN)リスナーだった青春時代がありました。
冨山さんは、他局を深夜に聴いていましたが、その番組が終了し、『ゲルゲットショッキングセンター』(1995-1999)を聴き始めたのが、ニッポン放送との出会いでした。
冨山:「ゲルゲット~」からの流れでなんとなくANNを聴くようになった。火曜2部のEAST END×YURI(1995-1996)が初めてのANN。歌う姿しか知らなかったが、ものすごく色々なことを自由にしゃべっていたことが衝撃的だった。吉井和哉さん、西川貴教さん、ゆず、ナインティナインなども聴いていた。
一方上柳さんは、高校一年生の時に聴いた『あのねのねのオールナイトニッポン』で始発の山手線から生中継を行った回(1973.12)が印象に残っているそう。駆け付けたリスナーで車内はパニック状態。満員になり窓ガラスが割れ、そこで放送は終了・・・
上柳:すごいものを聴いたと呆然として思わず外に出たら、近所のラジオ好きの友人も呆然として外に出ていた。お互い興奮しながら、多摩川まで歩いて明け方を待った。マイク一本で外に出て、どんなハプニングが起こるかわからない、編集もない、そんなラジオの自由さが好きになった。
と、ラジオを好きになったきっかけを語ってくださいました。
ANNの思い出
冨山さんはANNに関わった当初、ポルノグラフィティや小栗旬さんを担当していました。サプライズでパーソナリティと親交のある芸能人が乱入することもあったそう。しかし、2000年代後半はまだSNSやradikoが無い時代。
冨山:今なら神エピソードとしてネットニュースになるが、当時は世の中の人が誰も知らない状態で放送していた。秘密基地感があって面白かった。
その他、オードリーのANN「さよならむつみ荘」の回で、蚊に刺された冨山さんにリスナーから愛のある差し入れがあったという裏話も披露されました。
上柳さんは1983年から3年間、月曜2部(現在のZEROの時間帯)のパーソナリティを務めました。
当時は1部と2部は同じスタッフで、同じスタジオから放送が行われていたため、エンディングが流れている間に、1部と2部のパーソナリティが急いで入れ替わっていたそうです。「月曜1部担当の中島みゆきさんと、ラジオにおける接点を持てたことは大きい」と上柳さんは振り返りました。
そして、ANNを離れた今も、担当する「あさぼらけ」直前のANN0の中で上柳さんがパーソナリティにいじられることもしばしば。
上柳:(いじられるのは)嬉しい。高田文夫先生が「ラジオは横繋がりのラジオ長屋」だとおっしゃる通り、隣の番組とつながっていることを感じてもらえれば。
と、パーソナリティ同士のつながりが垣間見えました。
その他、80年代に人気を博したパーソナリティたちの裏話も沢山お話しいただきました!
ANNの歴史と時代の変化
1967年10月に始まったANN。当初、パーソナリティは社員が務めていましたが、70年代中盤以降歌手やタレントなどを起用するなど、試行錯誤を繰り返し、55年以上にわたり放送を続けてきました。
その間に、インターネット・SNS・radikoの登場・・・と、ラジオを取り巻く環境も大きく変化しました。
上柳さんも、自身がANNパーソナリティだった時代と比較して、
上柳:SNSで自分の発言に即反応がきたり、パーソナリティに即座にメールでツッコミが入る。あの反射神経はすごい。昔は無かったこと。
と振り返りました。
そしてコロナ禍には、パーソナリティの自宅で収録し、後はメールのやり取りだけで番組を作り上げる方法を取り入れ、柔軟に対応しながら、ANNはコロナ禍でも生放送を維持し続けました。
冨山:スタジオじゃないとラジオの放送ができないという先入観があった。地方からの生放送や海外のアーティストがレギュラーをやるというのは、コロナ禍がなかったら生まれていなかった発想。
と、コロナ禍で編み出されたシステムは、現在の番組作りにも活かされているようです。そこに機材の進化も後押しし、パリ五輪の中継はアナウンサー一人で行われました。
こうした時代の流れを見つめ続けている上柳さんは、
上柳:苦しい時代があってもANNに頼っていた。なかなかANNを越える新しいものを作ることができない悔しさや反省があった。お世話になっているし、憎い存在。
とANNへの複雑な想いを吐露しました。
一方冨山さんは、
冨山:複雑な感情は全くなく、先人たちが繋いできたANNという伝統にこのまま乗っかりたい。
世代やスタンスは違えど、共通してANNという偉大な長寿番組への尊敬の念を感じました。
ラジオの可能性
来場者の質問の中には、Podcastの今後の展望について尋ねるものもありました。冨山さんは、Podcastは時間や期間を気にせずに聴けるというラジオとの違いに触れたうえで、
冨山:時間を一緒に過ごすことがラジオの大きな役割だと思っている。一方で、Podcastは1週間・24時間という枠に縛られないのが魅力。有名YouTuberのように、Podcastで世の中に突き刺さる人が出てくると景色が変わるかもしれない。
と、Podcastの可能性を指摘しました。
最後に、企画展会場に展示している亀渕昭信さん(元ANNパーソナリティ)のコラムの一節:「ラジオは生活の伴走者、耳から入るサプリメント」を引用し、そうした存在でラジオはありたいとしながら、
上柳:ラジオは時に感情を湧きたててしまう怖さがある。極端なことを言うと盛り上がるが、思いとどまることも大切だと感じている。ウケなくとも、心がザワザワしたり、怒りに向かうことはしないようにしたい。
と自戒の意を込めて語りました。
冨山:21世紀で今、一番ラジオが聴かれている。リスナーとの接点が沢山あり、ラジオ自体も影響力がある。一人ひとりが聴いてくれているからこそ、放送が日々できている。ニッポン放送が100周年へと向かっていけるように頑張る。
と、開局70年から開局100年へとつなぐ決意を語り、セミナーを締めくくりました。
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今回、セミナーで紹介しきれないほど事前に沢山の質問をお寄せいただき、
改めてリスナーの皆さんの熱い想いを感じました。
ご登壇いただいた上柳様・冨山様、そしてご参加いただいた皆様、ありがとうございました!
放送ライブラリーでは上柳さん・冨山さんの関連番組や、ニッポン放送の番組も多数公開しています!
気になった方はぜひ、放送ライブラリーへお越しください!