第52回名作の舞台裏「風神の門」開催レポート
はじめに
11月5日、第52回「名作の舞台裏」を開催しました!今回は、司馬遼太郎の同名小説が原作、1980 年にNHKで放送された痛快時代劇『風神の門』を取り上げました。
セミナー前半は、今回のゲストでもあり三浦浩一さん演じる霧隠才蔵と、小野みゆきさん演じるお国を中心に物語が展開する第3話と6話を続けて上映。42年前の作品ということもあり、「若い!」「恥ずかしい」などの感想がゲストから聞かれました。
若いエネルギーが溢れる理由は?
スクリーンからビシビシ躍動感などの若いエネルギーが伝わってきた本作品。それを象徴するように、制作には若い出演者やスタッフが集められたのですが、その制作方法は少し変わっていたようです。
通常は、プロデューサーが全体の構成を考え、作家を選んでキャスティングをして・・・という段取りですが、若手演出陣として携わった渡辺さんは、
渡辺「このドラマはプロデューサーとチーフの演出家が、非常に鷹揚で若い人に全部任せてくれたところがあった。初めて同士がいきなりドンとぶつかって、一緒に『風神の門』という門をくぐろうとして、作り上げたのがこのドラマだったといえるのでは」
と当時を振り返りました。
なんと!箱根でスタッフの合宿もあったそうで、脚本担当の金子さんも、
金子「スタッフが集まって台本について打ち合わせを重ねて、撮影に入ることは滅多にない。でもあの頃は、第一稿の脚本が上がるたびに、プロデューサーと演出陣が会議室に集まって夜中まで、ああしよう、こうしようと意見を出し合って作った覚えがある。その熱気が作品に全部出ているような気がする」
とスクリーンからエネルギーが伝わる理由を明かしました。
脚本づくりについて
司馬遼太郎の同名小説を原作にもつこのドラマ。脚本は、原作を大切にしながらも、才蔵たちを人間らしく、若者らしくを意識して造形したそうです。
その理由は、超能力をもつ人間離れした忍者であれば、すぐに天下は取れてしまうから。オリンピック選手くらいの走力・跳力をもつ忍者という設定にして脚本が作られました。
また、原作を読まれたことのある方はご存知かもしれませんが、才蔵はすぐ女性に手を出してしまうキャラクターでした。
しかしドラマ化の際、視聴者層なども意識して、"一人よがりで自分さえ楽しければいいと思っている。でも、愛らしさ、はかなさとユーモアがある人物”として改めて描かれました。
若い出演者やスタッフが集まったということもあり、時代劇の制作やそもそも視聴経験が少ない人々によって手掛けられた本作品。
そうした状況はむしろ、
渡辺「時代劇をあまり経験したことのない人が、新しい青春時代劇ってのに取り組んだっていうことで、逆に面白かった。」
と新しいものを生み出すきっかけとなったといいます。
金子さんも本作が時代劇デビュー作。
金子「時代劇を初めて書いたが、江戸時代に入る前の戦国時代というのは決まり事が少なく、誰でも自由であったっていう時代だったような気がする。また、忍者というどこにも属さない人物が主人公であったことも書きやすかった」と語りました。
出演者の裏話~才蔵さんは大人しかった?!
撮影時の様子について、何と小野さんから衝撃の言葉が…!
小野「(三浦氏とは)全然、話さなかった。なんだか恥ずかしかった」
その真相を三浦さんは、
三浦「共演者と台詞以外で日常会話を交わした覚えがない。緊張していて周りが見えてなかった」
と明かしました。
小野さんはそんなことから、当時の三浦さんの印象を「才蔵と全く違って、本当に静かな人だなと思っていた」と振り返っていました。
むしろ、こうした撮影の裏側の自分たちの普段のぎこちなさがが、お国が最初才蔵を警戒しながらも、次第に惹かれていくという物語に合致していたのでは?と三浦さんと小野さんが思い返す場面もありました。(ちなみに才蔵とは会話ができなかった小野さんは、ライバル役の獅子王院(磯部勉さん)とはおしゃべりをしていたそうです。)
撮影スタッフの苦労
才蔵さんとお国さんが言葉を交わさなかった一方、スタッフ同士はよく議論を交わしたそう。予算の制約だけでなく、当時はドローンも無い時代。
しかし、忍者が登場人物の作品のため、当然アクロバティックな忍者の動きや忍術を使うシーンもあり・・・当時まだ緑の多く残る東京近郊での撮影は、工夫を凝らして行われました。当日は、客席に当時のカメラ担当の曽我部さんも駆けつけ、撮影の裏話を披露してくださいました!
例えば合戦のシーン。 “大軍団が進んでいく”という部分は、予算の都合からエキストラが、5、6人しかいなかったため、カメラさんの周りをエキストラの5人がグルグル回ってって大軍団に見せていたそうです。
忍術の撮影では、三浦さんが珍しい体験をしたと語ってくれました。それは土の中に身を隠す「土遁(どとん)の術」の撮影でのこと。
三浦「水に顔をつける経験はもちろんあるけど、土の中に埋められるのは初めてだった。スタッフさんが僕の寝てる僕の顔に、最後、土をドーンと被せる。それから起き上がるけど、その被せられている間がすごく怖くて、今も覚えている」
そんな様々な苦労がありながらも、三浦「本当に面白い体験をさせてもらった」、渡辺「スタッフが若かったから、そういうことを本当に面白がってやった」と当時を笑顔で振り返っていました。
作品への想い
三浦さんと小野さんにとって、ほぼ新人の時代に出会った『風神の門』。作品への思いについて尋ねられると、
三浦:この作品に出会ってなければ、今の僕はない。この作品に出演できたお蔭で、今もなんとかやれていると思う。だからこの作品は、役者として、人間としての原点の作品だと思っている
小野:かけがえのない愛おしい作品。青春の1ページだった
と締めくくりました。
みんなの青春の風神の門
1980年当時、当然SNSがない時代だったので、番組の反響は直接制作現場のほうに、手紙で届けられたそうです。その多くが中・高校生からのもので、クラスで放送後感想を話し合う中で、才蔵・お国派とライバルの獅子王院・青子派という派閥に分かれているという様子が書かれていたそうです。
会場にももちろん、放送当時、中学・高校生で、作品に夢中になっていた参加者が多くいらっしゃいました。質疑応答の際も、高校生の頃作品のファンで獅子王院派という方からの熱い質問もあり、最後まで大いに盛り上がりました!
まさに、それぞれの“青春の風神の門”を改めて叩くひと時となりました。