vol.2『わが兄はホトトギス』(南海放送/1978/53分)
放送ライブラリーで公開している数多の番組から、スタッフがお勧めしたい番組を連載形式でお届けするこの企画。今回ご紹介するのは、現在開催中の上映会「ローカル・ドラマ紀行2」でもラインナップされている『わが兄はホトトギス』です。執筆は、施設・広報担当のSです。
本作の主人公は俳人・正岡子規。脊椎カリエスに侵され、寝たきりとなった身で著した随筆や日記「病牀六尺」「仰臥漫録」に基づき、子規最後の日々を綴ったドラマです。ちなみに子規が没したのは1902(明治35)年、あとひと月で35歳という早世でした。教科書で見る、禿頭の横顔からは想像がつきません。
物語は、子規の妹・律の目線で進みます。律は母と共に松山から上京し、起き上がることも難儀な子規の看病をもう何年も続けています。それにしても子規は、およそ病人とは思えぬ健啖家で、寝たまま鰻重を平らげ、間食と言ってパンを幾つも食らい、毎日お刺身を欠かしません。母と妹は台所で質素なおかずをつついているのに、子規は「律は、香の物一品あれば食事は終わるなり」などとしゃあしゃあと言う。しかも我儘を言い悪態をつき、包帯交換が痛いと言っては暴れる暴君ぶり。文句ひとつ言わず仕えている律が気の毒になってきますが、明治という時代や兄妹という関係性、何より若くして病に倒れた兄への思慕がそうさせたのでしょう(と思いたい)。
幼少期は、泣き虫の子規とは反対に勝気だったという律ですが、癇癪を起こした子規がくしゃくしゃに丸めて投げ捨てた紙を淡々と拾い、一枚一枚丁寧に伸ばしている姿からは、その強さは忍耐へと姿を変えたのだと思わされます。その落ち着きぶりが、子規をして「同感同情のなき、木石の如き女」と言わしめたのかもしれません。これまたひどい言いようですが、子規のこの生命力が、病床にあっても新聞への記事執筆や句作を可能にし、新時代の俳句の道を拓いたのでしょう。
布団に仰のいたまま筆を持ち、数千もの句だけでなく絵までも描いていた子規。友人知人がひっきりなしに訪れ、枕元で語り明かす様子も描かれます。頑固で強情、偏屈さの一方で、四国生まれには珍しい降雪を喜ぶ無邪気さを見るに、才能と情熱に溢れる人たらしであった人物像が伺えます。最初は律への当たりのひどさに憤慨していても、次第に子規の人間くさい魅力に巻き込まれ、死の間際まで句作を続けた偉大な俳人の死を、厳粛に受け止めていることに気付かされます。
制作は、子規の生地・松山市に本社を置く南海放送で、開局25周年の記念番組でした。脚本は愛媛出身の早坂暁。当時すでに人気脚本家だった早坂は、同郷の局の恐る恐るの依頼を、迷いなく受けてくれたそうです。演出は制作部副部長だった森巌。幼い頃から芝居に親しみ、「いつかはドラマ制作を」という願いが叶ったのがこの作品で、地域の風景や風俗を撮り続けて磨いた映像の腕が、この記念作への抜擢の理由でした。とはいえ、遅筆で知られた早坂。森は後日、「脚本の遅さは聞きしに勝り、転々と姿をくらます早坂氏と原稿を求めて後を追った」とユーモラスに語っています。
このドラマは、1時間に満たぬ作品ながら、文化庁芸術祭賞、放送文化基金賞、民間放送連盟賞など各賞を総なめにしました。これら数々の評価が、ローカルで番組を作り続ける後進たちの励みとなったことは想像に難くありません。
俳句ブームの今、子規の命日9月19日を前に、近代俳句の祖の人生を垣間見てはいかがでしょうか。上映会の終了後も、8階視聴ブースでご覧になれます(番組ID 001390)。
<文中敬称略>